親友との出会いのエピソード
親友であるTが自分に「おたがい、一人前になったら会おうじゃないか」と言ったのは、24歳の春のことです。高校時代からの親友であることを自覚している自分には、Tの言いたいことが痛いほど分かりました。
そもそもTと最初に出会ったのは高校2年生の春です。自分もTも学校をさぼったりしては先生から怒られる、いわばどこにでもいるような高校生でした。そんな自分たちに変化が訪れたのは、当時流行っていた落合信彦の一連の書物を、争うように読み始めたのがきっかけでした。当時の自分たちはそれだけ純粋だったのでしょう。『傭兵部隊』『20世紀最後の真実』『アメリカよ!あめりかよ!』といった著作の数々に時分たちが夢を重ねて見たのは、男らしさ、厚い友情の絆、男のりりしい生き様や死に様といった、ありきたりな高校生活にはないパッションであり、アメリカンドリームそのものでした。
夕日の射しこむ教室や夜の公園、どちらかの部屋で、Tと自分はお互いの夢や将来について熱く語り合ったものです。いつしかふたりは目指す大学のために勉強を始めていました。それから、そこそこの大学に進学した頃、ふたりはもう落合信彦を読んでいませんでしたが、相変わらず夢見る心だけは持ち続けていました。しかし、Tが就職活動に失敗してから、現実が見えてきたようでした。アメリカンドリームに敗れたといってもいいでしょう。
冒頭で紹介した「おたがい、一人前になったら会おうじゃないか」という言葉は、それなりの企業に無事就職していた自分に対する挑戦状のような気がしました。自分が夢をあきらめたというつもりはなかったのですが。以来、15年間もふたりは連絡をとりませんでした。それでも心の中では一番の親友と思い続けていました。しかし、Tに次に会ったのは葬儀場でした。これが最後の出会いです。Tは交通事故に遭ったのです。遺影の彼のまなざしは、どこまでも遠いアメリカを見つめているようでした。
「おたがい、一人前になった会おうじゃないか」という親友との約束は、今は生きる原動力として、自分を支えています。この約束があったからこそ、どんなつらいことも乗り超えてきた気がするのです。自分の人生のなかにおいて、この親友との「出会い」はおそらくかけがえのないもののひとつであり続けるでしょう。あの世で一人前になっている彼に会うまで。
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