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    <title>出会いと転機の関係</title>
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    <subtitle>出会いと転機の関係について解説しています。</subtitle>
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    <title>ネットでの出会いの不思議</title>
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        <![CDATA[<p>ネットを通した出会いというと、いわゆる出会い系サイトの話かと思われがちですが、そうではありません。SNS（ソーシャルネットワーキング）の最大手であるmixi（ミクシィー）の話です。mixiに自分が初めて参加したのは、2005年のことでした。「マイミク」と呼ばれる友人のうち、半数くらいは実際の知人でした。その他はネット上のみの知り合いといった関係です。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ある日、あるマイミクの友人欄を何気なくぼーっと閲覧していると、たまたま自分が卒業した大学の同じ学部学科に所属する女の子がいることに気づきました。懐かしさがこみあげてきて、彼女のプロフィールや日記を読み始めました。よく知っている教授（当時は教授ではありませんでしたが）の名前が出てきてビックリしました。この教授とは15歳ほどの差があり、かなり世代が違う相手です。</p>

<p>しかし、それだけで終わりにならないのが、ネットの出会いのおもしろいところです。mixiにはコミュニティという集まりがあります。そして、彼女が入っているコミュニティのひとつに出身小学校の集まりがありました。田舎町のその小学校は大学とはかなり離れた別の県にあるのですが、なんと自分もその小学校の卒業生でもあったのです。</p>

<p>その偶然に驚いた自分は、彼女にメッセージを送ってみました。遠く離れた別の土地にあるふたつの学校という共通点があったので、唐突にメッセージを送ることに戸惑いは感じませんでした。お互い、懐かしいですね、といったコメントをやりとりするうちに、さらにおもしろい偶然を発見することになりました。それは、彼女が当時住んでいたとある企業の社宅のことです。その家はなんと、彼女が入居する10年ほど前まで、当時小学生の自分がまさにそこに住んでいたのです。</p>

<p>ここまで重なると、単におもしろい偶然では片付けられません。シンクロニシティというか、必然の偶然という言葉が自然に脳裏に浮かびました。それでも彼女と無理に会おうと思わなかったのですが、そのかわりに久しぶりに新幹線と鈍行列車を乗り継いで、田舎町の小学校を訪れました。かつての友人達と久々に旧交を温めて、ネットがつなぐ縁ってなんて不思議なんだろう・・・そんなことを思って感慨にひたりました。</p>]]>
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    <title>旅先での出会いの思い出</title>
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        <![CDATA[<p>旅を愛する谷岡亜紀をご存知ですか？　谷岡は香港でこんな歌を詠んでいます。「臓物を大鍋に煮る屋台まで人生の今日を歩み来たれり」。これは香港の下町をぶらぶらしているうちに屋台を見つけた、そこでは大きな鍋でぐつぐつと臓物が煮込まれていた。食べてみたところ、こんなに美味いものはないと感動し、これを食べるために自分は今まで生きてきたと感じたという、そんな意味ではないでしょうか。とても心に残る歌だと思います。</p>]]>
        <![CDATA[<p>香港は、自分も一度だけ訪れた記憶があります。1992年のことです。まだ中国への返還前の時期でした。それでも人民元がそろそろ幅をきかせていたような気がします。後輩とふたり、この歌のように下町の屋台をめぐったり、朝の公園を歩いたりしたものです。いわゆる観光地とよばれるところで訪れたのは、タイガーバームガーデン（虎豹別墅）くらいだったように思います。</p>

<p>九龍地区の路地裏をしばらく歩いているうちに、やがて日本人の姿が見えなくなり、そのうち西洋人も消えてしまい、あたりは広東語一色となりました。古いアパートとアパートの隙間の狭い空間で、紙牌に興じる老人たちがいます。彼らは外国人である自分たちをにらむように見ました。</p>

<p>そんな香港でタクシーに乗りました。まだ20代に見えるほがらかな運転手は、香港人のほとんどがそうなのですが、英語を流暢に話します。自分と後輩は片言しか話せないというのに。乗車時間は20～30分程度でしたが、打ち解けるのにほとんど時間は必要ありませんでした。ハンドルを握ったまま、頻繁に後ろを振り向いて話しかける彼の運転に、ちょっとはらはらさせられましたが。</p>

<p>後輩が日本の歌を歌い始めると、日本のカルチャーが大量に受け入れられている香港らしく、彼はすぐさま一緒に歌い始めました。後輩は歌がとても上手だったので、自分も”He is a singer”などとジョークを飛ばして笑いました。いまならメール交換も可能でしょうが、当時はそんな便利なツールもありませんでしたからそれっきりです。彼はなんと乗車料金を請求しませんでした。自分たちは日本円を記念にあげたら、笑顔で手を振ってくれました。</p>]]>
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    <title>予期せぬ出会いの話</title>
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        <![CDATA[<p>仕事の都合で、自分のランチはいつも遅い時間になります。ランチの時間をとっくにすぎているため、事務所の近くのスーパーで値引きシールの貼られたお惣菜を買うか、コンビニ弁当などで済ませてしまうことが多くなります。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ある日、普段通りにスーパーで残り少なくなった弁当を探しながら、ややうつむき加減で惣菜に手を伸ばしている女性の白い額に目がとまりました。もしかして！と胸がどきっとときめきました。 </p>

<p>思い起こせばもう10年以上前のことになります。当時、自分は夜の街が徐々に明けてゆく風景を見るのが好きでした。そこで深夜に出かけては、夜明けを街の中で迎えるという日々を過ごしていたものです。アルコールをたしなむこともありましたが、町で出会う見知らぬ人や夜の女たちをただぼんやりと眺めたり、そこで知り合った何人かの人と朝まで語り合ったりするだけでも十分満足していたように思います。そんな夜の街のどこかにあった小さな公園で彼女と出会ったのです。</p>

<p>彼女はとある風俗店の人気嬢でした。年下の彼氏のために仕事を辞めようかどうしようかと悩んでいる様子でした。その晩、つい長い間話しこんだ自分と彼女は、それ以降時折メールをやりとりしたり、夜の街でバッタリ会ったときに少し話をする程度の、関係とも言えないような顔見知り程度の間柄でした。彼女自身、店を辞めたあとまた復帰したりといったことを繰り返しながら、結局、年下の彼とはうまくいかず別れたようです。その後、なんとなく私ともやりとりがなくなっていました。 </p>

<p>そして、10年の月日が流れ、30代半ば近くに見える彼女に出会ったとき、その後ろには小さな女の子の姿がありました。私は手にとった弁当を棚に戻し、そっとスーパーを出ました。足取りは軽やかでした。おそらくこの予想もしていなかった10年ごしの出会いが、自分の少々くたびれた日常に明るい光を投げかけてくれたからに違いありません。もちろん、彼女にこの先声をかけることは、おそらくないだろうと思いますが・・・。</p>]]>
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    <title>男と女の出会いの不思議</title>
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        <![CDATA[<p>男と女の出会いほど、曖昧で偶然性にあふれたものはないのではないでしょうか。自分がよく思い出すのが「トリスタンとイゾルデ」の物語です。中世ヨーロッパ最大の悲劇の恋とされるこの物語は、ワーグナーの楽曲でもよく知られています。また「アーサー王と円卓の騎士」の挿話でもあることをご存知ですか？</p>]]>
        <![CDATA[<p>コーンウォールのマルク王が、アイルランドの王女イゾルデを妻に迎えるために遣わしたのが、騎士トリスタンでした。外国の地に嫁に行く娘のためを思い、王妃は永遠の愛を約束してくれるという媚薬を娘の侍女に持たせます。そして、密かにマルク王とイゾルデに飲ませるようにと命じます。ところが、侍女は間違ってしまうのです。使者であるトリスタンとイゾルデに媚薬を飲ませてしまったのです。たちまちふたりの恋は燃え上がり、激しく愛し合い、王の目を逃れてこっそり逢瀬を重ねることに。これを知って激怒した王はトリスタンを国外へ追放してしまいます。</p>

<p>トリスタンは新たに妻を迎えます。しかしその後も、トリスタンはイゾルデを忘れることができません。トリスタンはある戦いで瀕死の重傷を負いますが、イゾルデに船を遣わします。海の見える高台の部屋で、彼は使者に「イゾルデが一緒ならば船に白い帆を、来ないときには黒い帆を掲げよ」と命じます。</p>

<p>そして、はたして、イゾルデは白い帆を掲げた船でやってきます。ベッドから立つこともかなわないトリスタンは、傍にいる妻に「旗の色は白か黒か」と尋ねます。実は妻は使者との会話を盗み聞きしていたのですが、嫉妬のあまり、「黒の帆だ」とウソを言います。</p>

<p>トリスタンは希望を失い、四度も「イゾルデ」と叫び、そのまま息絶えました。訃報の鐘を聞きつけたイゾルデはかけつけます。そして、愛するトリスタンのなきがらを抱きしめたままやはり息絶えてしまうのです。マルク王は彼らのために墓を２つ作りました。すると、トリスタンの墓から、夜になると一本の蔦が生えて、イゾルデの墓のほうに向かってのびていく。切っても切っても、夜になると蔦は伸びて、再びイゾルデのもとへのびていきました。王はその蔦を切ってはならぬと命じたといわれています。</p>]]>
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    <title>祖父との出会いと思い出</title>
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        <![CDATA[<p>自分は祖父母宅で生まれているので、「祖父との出会い」などという表題を掲げるのは、ちょっと奇妙かもしれません。しかし、以来、祖父とはめったに会うことがありませんでしたし、祖父と面と向かって言葉が交わせるようになったのは、自分が大学生になってからのことなのです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>祖父は、満州からの引揚者で、戦後はソ連軍の捕虜となっていました。祖父は大きなグループを率いて日本に引き揚げてきた一人です。帰国後はある地方都市に住み、そこで助役として辣腕を振るったと聞いています。祖父宅には中国や日本の歴史や政治関連の様々な書物がかなりたくさん置いてあり、学者としての側面も持っていたように思います。</p>

<p>決して孫をかわいがるような温和な性格ではなかったのですが、自分が大学に入学し、中国文化を専攻するようになると、自分にばかり目をかけてくれるようになりました。そして、大学でついに卒業研究にとりかかる正念場になるころ、祖父は久しぶりに帰省した自分に対して、次のような質問をぶつけてきました。</p>

<p>「日本はアジアでよくないことをたくさんしてきた。それは確かだろうが、日本が戦争に敗れた結果、アジア各国は独立することができ、現在にいたっている。これはどういうことだと思うかね？」。この祖父の問いは、歴史が持つダイナミズムのようなものを示唆しようとしたのかもしれません。しかし、自分にはハードルの高い問いでしたし、祖父も解答を持ちあわせていなかったのではないでしょうか。ただ、ふたりでしばらく黙って同じ学問を追求する者同士、じっと見詰め合うしかありませんでした。</p>

<p>思えば、祖父と孫としての関係というよりは、男同士、または一個の人間対人間として、初めて会話することができたのがあの日だったと思います。自分はこのとき、本当の意味で祖父と「出会った」のだと感じています。祖父はその後しばらくして亡くなりました。そのため、祖父のあの問いはそのまま、自分のライフワークの中心を占めることになりました。生き方を方向づけるような決定的な出会いは、案外身近に潜んでいるものなのでしょう。</p>]]>
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    <title>親友との出会いのエピソード</title>
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        <![CDATA[<p>親友であるTが自分に「おたがい、一人前になったら会おうじゃないか」と言ったのは、24歳の春のことです。高校時代からの親友であることを自覚している自分には、Tの言いたいことが痛いほど分かりました。</p>]]>
        <![CDATA[<p>そもそもTと最初に出会ったのは高校2年生の春です。自分もTも学校をさぼったりしては先生から怒られる、いわばどこにでもいるような高校生でした。そんな自分たちに変化が訪れたのは、当時流行っていた落合信彦の一連の書物を、争うように読み始めたのがきっかけでした。当時の自分たちはそれだけ純粋だったのでしょう。『傭兵部隊』『20世紀最後の真実』『アメリカよ！あめりかよ！』といった著作の数々に時分たちが夢を重ねて見たのは、男らしさ、厚い友情の絆、男のりりしい生き様や死に様といった、ありきたりな高校生活にはないパッションであり、アメリカンドリームそのものでした。</p>

<p>夕日の射しこむ教室や夜の公園、どちらかの部屋で、Tと自分はお互いの夢や将来について熱く語り合ったものです。いつしかふたりは目指す大学のために勉強を始めていました。それから、そこそこの大学に進学した頃、ふたりはもう落合信彦を読んでいませんでしたが、相変わらず夢見る心だけは持ち続けていました。しかし、Tが就職活動に失敗してから、現実が見えてきたようでした。アメリカンドリームに敗れたといってもいいでしょう。</p>

<p>冒頭で紹介した「おたがい、一人前になったら会おうじゃないか」という言葉は、それなりの企業に無事就職していた自分に対する挑戦状のような気がしました。自分が夢をあきらめたというつもりはなかったのですが。以来、15年間もふたりは連絡をとりませんでした。それでも心の中では一番の親友と思い続けていました。しかし、Tに次に会ったのは葬儀場でした。これが最後の出会いです。Tは交通事故に遭ったのです。遺影の彼のまなざしは、どこまでも遠いアメリカを見つめているようでした。</p>

<p>「おたがい、一人前になった会おうじゃないか」という親友との約束は、今は生きる原動力として、自分を支えています。この約束があったからこそ、どんなつらいことも乗り超えてきた気がするのです。自分の人生のなかにおいて、この親友との「出会い」はおそらくかけがえのないもののひとつであり続けるでしょう。あの世で一人前になっている彼に会うまで。</p>]]>
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    <title>山の男との出会いの物語</title>
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    <published>2009-04-08T09:57:17Z</published>
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        <![CDATA[<p>三段峡は全長13キロに及び、黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝の五大壮観なる名所があります。大小さまざまの淵や瀬、滝、奇岩を従えて、絶景を成しているのです。渓谷の入口は朱色の長淵橋です。ここを渡って3キロほど歩くと、第一の五大壮観、黒淵の渡船場にたどり着きます。そこで、まだ50代くらいに見える髪がぼさぼさの船頭に出会ったのですが、彼の話がなんとも面白かったので記憶に残っています。</p>]]>
        <![CDATA[<p>黒ずんだ淵を覗き込みながら、大山椒魚を見ることができるかどうか、その人に質問したのが始まりでした。彼は、「なかなか上がってこんからなあ」と言ったあと、一週間前までは向かいの黒淵荘で水槽に入れていたが、逃がしてしまったのだと言います。また、「ちょっと前まで『生きた化石』だの『天然記念物』だのとさわいどったけど、いまじゃあ、すっかり数も増えとる。しかし、数が減ったのは、鰻より美味いからじゃ」と彼は言いました。</p>

<p>「ハンザキ」と地元で呼ばれていますが、この両生類が、戦前の貴重な蛋白源であったことは自分もよく知っていました。「しかし、今はもう食べないんでしょう？」と質問してみました。赤銅色の腕をしたたくましい船頭は、にやりとふてぶてしく笑いました。「今も食べとるよ、若いもんが集まってのう」と言います。「あれは生きたまま皮を剥いで臭みをとるんじゃ。やり方はいろいろあるが、一番いいのは、焚き火に生きたままのを放り込む。すると皮だけ黒焦げになって、剥きやすうなるんじゃ」「もうひとつのやり方は、沸騰した湯のなかに生きたままを沈めるんじゃが、これは暴れて湯が飛び散って、やけどするから、勧められん」</p>

<p>船頭はそう言うと、涎を垂らさんばかりのすごい表情です。今にも浮上したオオサンショウウオを、むんずと掴まえて食べてしまいそうな勢いに圧倒されます。きっと、「若いもん」の中にちゃっかり自分もいれてるんだなと思いました。まあ、それもいいでしょう。水槽にいれていた山椒魚の行方が、なんとなく分かった気がしました。</p>

<p>ご相伴に預かれなかったことはちょっと残念でしたが、山川に生きる民が健在であることを知り、実に頼もしく思った次第です。もちろん、彼は自分が食べたとは一言も言いませんでしたし、観光業に就く人間お得意の誇張した作り話だったのかもしれません。ただ、自分が彼との出会いを通じて、山に生きる者のたくましさを感じたことは確かです。それこそが真実なのです。</p>]]>
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    <title>最初の師との出会いの経験</title>
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    <published>2009-04-08T09:57:17Z</published>
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        <![CDATA[<p>小学校に入ってからの数年間というもの、自分はひどい問題児で知られていました。宿題もしないし、先生の話も聞かない、学校の指示も守らないという調子でしたから。決して悪ぶっていたわけではないのです。とにかく遊ぶのに夢中の毎日で、学校の勉強や規律にまったく関心が向かなかっただけなのです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ですから、学校の成績は惨憺たるものでしたし、担任の評価は最低でした。小学校の成績は当時は「よい」「ふつう」「もう少し」の三段階評価だったのですが、なんと「よい」がひとつもなかったのを記憶しています。母親も、あなたの子どもとはとても一緒にやっていくことができません、なんて先生からいわれて、とっくにあきらめていたのでしょうか。さほど怒られることもありませんでした。</p>

<p>そんな自分にも転機が訪れるときが来ました。それまで自分は親の仕事の都合で小学校を転々としていたのですが、4年生になって間もなく小さな田舎町に引っ越すことになりました。そして、あまりに悲惨な成績を不安に思った両親が、転勤と転校をきっかけに自分を学習塾に通わせることにしたのです。学習塾といっても、計算プリントをちょこちょこ解いていくレベルのもので、高度なことを教えてくれるわけではありません。小学校の低学年のおさらいをするような補習塾という感じです。</p>

<p>その学習塾をはじめて訪れた自分を待ちかまえていたのは、まだ若い女性の講師でした。彼女は、自分に入塾の学力診断テストらしきものを用意していて、それを数枚解いたのを記憶しています。なにしろはじめての学習塾体験でしたから、あきらかに浮いた存在にとまどっていた自分は、それでも一生懸命取り組みました。とはいってもろくに半分も解けませんでした。</p>

<p>女性講師はテストの採点を終えたあと、自分の方をしばらく見つめました。そのとき彼女が自分に言ってくれた言葉は、一生忘れられません。彼女は自分のひどい答案をチェックしながら、次のように言いました。「計算がとっても得意なのね」と。自分はこの一言で天にも昇るような幸せな気持ちになったのです。この一言がきっかけで、その後も算数だけは勉強しようと思えるようになったのです。思えばこれが人生初めての師との出会いというものでした。</p>]]>
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    <title>言葉との感動的な出会い</title>
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        <![CDATA[<p>新たに誰かと出会うときや紹介されるとき、自分はそのたびに相手から強い影響を受けてしまいます。それが人生の転機となることもあるのではないでしょうか。おそらく単純な人間なんでしょう。しかし、数々の偶然の出会いによって積み重ねられてきたこの数十年は、けっして悪いものではなかったと断定できます。</p>]]>
        <![CDATA[<p>思うに、人と直接出会うことばかりが、出会いではないのです。時にはすばらしい書物や言葉が、自分の生き方に影響を与え、人生を変えることも多々あるでしょう。山崎方代はそんなひとりです。「放浪の歌人」あるいは「無用の達人」と称される山崎方代は、酒好きで旅に憧れ、放浪を愛してやまない人でした。最後まで定職を持たなかったことでも知られています。数少ない支援者の好意で雨風を凌ぐ生活をしていました。</p>

<p>たとえば次のような有名な歌があります。「こんなにも湯呑茶碗があたたかくしどろもどろに吾はおるなり」。湯呑み茶碗のぬくもりに、どうしていいかわからなくて、「しどろもどろ」になってしまうような純粋さ、素朴さが、彼にはあったわけです。それは、息が詰まるような現代社会の枠に閉じ込められた自分たちが失ったもののひとつではないでしょうか。</p>

<p>「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」という歌もあります。自分はなんとか今のところ食べるものにも事欠くような生活をせずに済んでいます。それはとてもありがたいことですが、しかし一方で、豆腐を手に入れたときの「いそいそと」した喜びを知ることができないということでもあるのです。誤解してはいけないのですが、彼はひたすら受け身に生きていたわけではないのです。</p>

<p>「ゆくところ迄ゆく覚悟あり夜おそくけものの皮にしめりをくるる」という歌。これはいざとなれば、男として立てねばならないこともあるのだという覚悟をうたっています。放浪と漂泊、そして孤独。方代はおそらく、男性の秘密のひとつを明らかにした人ではないでしょうか。彼の遺した言葉は、自分の生き方に確実に大きな衝撃を与えたのです。その衝撃はまるで小骨のように自分の喉に刺さったまま、今もとることができないような感覚にも似ています。</p>]]>
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    <title>異国の友との出会いの記憶</title>
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    <published>2009-04-08T09:57:16Z</published>
    <updated>2009-04-08T09:59:43Z</updated>

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        <![CDATA[<p>バリ島は地上最後の楽園といわれています。自分でもとても好きな土地です。50歳くらいまではハードに働きまくって、残りの人生を亜熱帯のきれいな空気とガムランの響きに満ちたバリでゆったりと暮らしたい。そんなふうに決めたのは二十代のころのことですから、ずいぶん昔の話です。</p>]]>
        <![CDATA[<p>実際に訪れたのはたった一回のこと、それもほんの数日滞在しただけでした。いまだに自分を魅了し続ける不思議な力をもった土地です。昼夜通して島中に響いているかのように感じられるガムランは、自分の心の深いところに棲みついてしまったようです。</p>

<p>バリ滞在中、自分の夢のなかに出てきた聖獣バロン。これもおそらくガムランの音階を駆け上がってきたのでしょう。いまだに体のどこかでうたた寝をしている気がしてなりません。時折それは目覚めて、今朝も夢のなかで金色のたてがみをなびかせていたような気がします。そして、「サンヒャン・ドゥダリ」という秘儀舞踊の魅力。初潮前の少女をトランス状態に導いて行われるこのシークレットダンスについては、中沢新一氏の本で読んでいました。観ることはできなくても、何か話くらいは聞けるといいなと思っていました。</p>

<p>そして、自分は親しくなったホテルのボーイのS氏に矢継ぎ早に質問したものです。S氏は、自分の好奇心丸だしの質問にひとつひとつ誠意をもって答えてくれました。4～5ヶ国語をたくみに操る彼は知的で深い魅力をもっていました。「ぜひ日本にもいらしてください」と軽はずみな社交辞令を口にしてから、すぐに自分は恥ずかしくなりました。「それは無理だよ」と一瞬見せた戸惑いは、すぐに笑顔にとってかわりました。彼とはしばらく文通を続けていましたが、いつのまにか音信不通に。</p>

<p>「次来るときは家に泊まるといいよ」と言ってくれて別れた彼のことを、今でもしょっちゅう思い出すことがあります。バリでゆったりと気ままに暮らすには、まだまだ仕事が残っているけれども、彼との再会への期待が仕事における大きなモチベーションのひとつになっていることは確かで、間違いないことなのです。</p>]]>
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